ネット上における承認欲求って何それ食べれるの? by お富さんのジミー

お富さんジミーのブログ

たぶんどんな人でも〝誰かに認められたい〟って気持ち(欲求)はあると理解できますけど、その『誰か』がとても重要な気がしてしまう。その〝誰かさん〟は、自分にとって親しい人なのか?どーでもいい人なのか??はたまたネット上だけの繋がりで一度も会ったこともない人なのか???

〝優先順位〟のない承認欲求はただのエゴに成り変わりやすい

フェイスブックやインスタで『いいね』の数を集めても一時的なモノであり、継続した評価にはならないよね。(フォロワーが常連客となり得るパターン)〝認知〟されてるだけでは『商品』は売れないし、お客さまの数も増えない。

やはりSNSをやる最大のメリットとは、時間や距離という制約を超えてコミュニケーションを取るのが重要であり『無機質な〝いいね〟の数』に一喜一憂していては疲れてしまいます。

先日、この梅雨時期に何とか晴れ間にも恵まれ学校関係者各位のみなさんのおかげさまで子供の運動会が無事に開催されました。

その日の〝主役〟は一体誰なのか?

各ご家庭の親御さんの考え方による差なだけども、ぼくは子供の写真は基本的にネット上には載せません。それがいいとかわるいとか、そんな議論は平行線なのでする気は無いのですが〝他者目線〟に立って相手(子供)の気持ちをすくい取るとやっぱり一緒にお弁当を食べてる時とかにする『対話』にコミュニケーションの〝本質がある〟ような気がします。

もちろんぼくも例に漏れず、頑張っている子供の〝決定的な瞬間〟を撮ろうと同じ体操服と同じような体格の子供たちの中からウチの子を探そうと四苦八苦するのですが、結局はスマホのカメラではなく自分の目で子供の運動会を眺めている方がいまこの瞬間が脳裏に焼き付いてるという実感があったし、競技を終えてグランドに座っている子供と目が合った時にお互いを認識し手を振り合う〝そんな数秒間に〟とても充足感を覚えた。たぶんそれは子供も一緒で『自分を見てくれている』と実感してくれてるかと思います。

ただそこに〝一緒にいる〟ということは当たり前ではなく、とても有り難いことかもね

ベトナム出張時のことなんですが、仕事終わりにお茶に誘われ決してお世辞にも衛生的とはいえない湖の周りにござを敷いただけのたぶん無許可(食品衛生法とか色々ww)で営業している野外カフェで一杯50円のお茶やひまわりの種をポリポリつまみながら、特に仕事についての話もせずみんなでうだうだしている時はとてもリラックスできた。まわりを見渡しても、気の合う人たちのグループばかりなのか穏やかな雰囲気でしたね。

ベトナムには不思議な文化があって、赤道に近い気候なのでとにかく昼間は蒸し暑くてたまらわない。なので、夕方過ぎになると家族4人とかで1台のバイクにまたがり〝目的地のないドライブ〟に出掛けるご家庭がとても多い。その理由は単に家にいるより外の方が『涼しいから』だそうです(笑)

ぼくは割とすぐに影響されるタイプなので、日本に帰ってきてからオフ日の夕方には、今まで興味もなかった家のテラス席に腰掛ける時間を作るようになりました。

一旦〝スマホを置いて〟ひとり時間を

現代人はとにかくスマホに触っている時間帯が多いように感じます。それが生産性の向上に繋がれば良いのですが、往々にしてただの暇つぶしに終わってしまっていませんか?

スマホが普及してから〝隙間時間〟にちょっとした調べものをしたり気軽にSNSをチェックするなど便利にはなりましたが、

『ケータイ依存症』という造語

が出来てしまうほど、ぼく(わたし)達のライフスタイルの中で既にインフラ化しているので、もはや無くてはならないツールとなりました。それでもあくまでツール(道具)は人間が取り扱うので、それ自体が悪いという訳ではない。

庭に咲く紫陽花の花はこの梅雨時期にしか咲かないし、遠くを飛んでいる飛行機の軌跡も空を見上げる心のゆとりがないと気付けはしないように、たまには意識的にスマホを置いて『自分の内面と向き合う時間』を作ってみると思考の〝深掘り〟に役立つかもしれません。

他人から認められる〝承認欲求〟より、誰よりも近くにいる『自分という存在』が身近な人間に対してどんな〝関わり方〟をしているのか?を考えられるような大人で在りたいよね。

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