ヒントはいつでも日常にある

どうにも毎日仕事をしていると似たような〝ルーティンワーク〟になってしまう。かと言ってひとは『変化』をあまり好まない。ハッキリ言って〝めんどくさい〟からである。

人間とは誰しもが大なり小なり〝身勝手〟な習性があり、自らが好んでするコトは嬉々としてやり、つまらないコトは〝後回し〟にしたがる。例えば『旅行』の準備などはワクワクしながら夜中でも荷造りをし、何時間もかけて目的地へと向かうが、家から車でたったの数分の距離にある『歯医者』には行きたがらない(笑)

それでも地球は自転を繰り返し、腕時計の秒針は休む事なくチクタク・チクタクと時を刻み続ける。

今時アナログかもしれませんが、ぼくは毎年『システム手帳』を購入し常にカバンに入れて持ち歩いている。

会社の会議や業者さんとの打ち合わせのスケジュール以外では『こうなって欲しい』という〝小さな願望〟やSNSで繋がりのあるお客さまがご来店すると各日付のページにある時間軸の欄に『お一人づつ』その名前を書き込んでいる。(意外とマメなんです!)

見開きになっているページでは主に〝シール〟を目印として使い、誰かと会った日はすぐにわかるようにしている。あ、ちなみに使用しているシールに深い意味はなく〝なんとなく〟で決めています(笑)

パッと見てもペタペタとよく〝シール〟を貼っていますよね。それだけ職場の内外でたくさんの『ひとに会っている』のを意味していることになる。そうなんです、いつもの日常に『変化』をつけたければ〝誰かと会う〟ことを強くオススメしたい。

ひとに会うためには会社(お店)から自分の体を空ける必要があるが、ビジネスパーソンは誰しもが『いま時間がない』と班を押したように同じことを言う。

でも、それって『いま』ではなく〝いつもの〟自分なりのペースを乱したくないと言うのがほとんどの理由だ。

ぼくの仕事は飲食なので、休憩時間になると黙っていても〝まかない飯〟が出てくるが、なるべくなら外に出るようしてる。それはいつもと違う『環境』に身を置いて、全身の毛穴を開くように〝肌感覚〟で自分のお店のビジネスモデルの『ヒント』になるものがないか探しているから。

お富さんはお寿司や刺身など新鮮な海鮮料理が〝一番の売り〟のお店なのに、ぼくの考案した『痺れる坦々麺シリーズ』のオーダーをお客さまから有り難いことによく頂いております。お店を切り盛りしていくのなら『結果(売上)』〝獲り〟にいくしかないよね??

お店がヒマだとスタッフの〝人件費〟が重く経営にのしかかってくるのはどのサービス業でも一緒だ。だから『仕事』をお客さまから与えられるのを〝待つ〟ではなくこちらから『作り』にいく姿勢が必要だ。

ヒマな時に何もせずただその場に突っ立ってるだけでは〝1円の生産性もない〟のです。

でも、ここで『勘違い』してはいけないのは、ひとに会うのも仕事だからと一方的にこちら(自分)が思っていてもスタッフからしてみれば、ただの息抜きや〝遊び〟に見られてしまう誤解を大いに孕んでいる一点だ。

『また店長どっか行っちゃたよ?』てね(笑)だから定期的にその成果をお店で目に見える『カタチ』でスタッフに示さなければただの〝遊び〟に格下げされてしまうのです。怖いよね〜!!

つい先日、カウンターにぼくにとって大切なお客さまが来てくれました。その際に座ったカウンター席は、店舗の作り的に出入り付近にあるので『寒かったかな?』と少しでも思えば〝ブランケット〟をその足で直ぐに買いに行く。その『ついでに』そのまま近所のお店に顔出しがてらおいしいラーメンを食べに行っても、結果としてはスタッフにラーメンを食べに行った〝だけ〟だと映るかもしれない。そんなもんです。

だけど、ぼくは次にその大切なお客さまがまたカウンター席に座るようならその時に買ってきた〝ブランケット〟を差し出すことができる。どちらも『結果論』だけどね。

余談ですが、しまむらで選んでる際に『ディズニー』のブランケットより『スタジオジブリ』のブランケットの方が1.5倍くらいの値段設定だと気付き、ひとりで〝まっくろくろすけ〟めっちゃ高かーーっ!と心の中で叫んでいたのはここだけの秘密です(笑)

ぼくは毎日毎日いつも通りまな板の前で刺身を切り付けてそれを盛り付ける。それは単なる〝作業〟ですが、先ずは自分でも『おいしそうだな』と思えるものをお客さまにご提供したいと考えています。

自分より〝他者満足〟という価値観がもてはやされているように感じますが、その〝大前提〟において『先ずは自分を満たしましょう』って思うんですよね。

大切なお客さまがいたのなら『自分から』こうしてあげたいと思えるマインドにならないと結局は〝見返り〟ありきで行動してしまうものです。

例えば料理の味だったり、どんな事柄であれ最終的な『評価』とは第三者が決めるものだけど、自己評価の軸まで〝他者〟に委ねてしまうのは良くないよね??

ひとの意見に耳を傾けつつも『ブレない芯』がなければ、その都度どうしたら良いかわからなくなってしまうのはメンタルティの〝泥沼化〟過ぎる(笑)

たぶん〝答え〟なんてその時々の条件や環境によって変化する『味付け玉子』のようなモノである。

タレの味がよく染みてて『うまいっ』ていうひともいれば、味が濃過ぎると〝嫌がる〟ひといるかもしれない。断面の黄身の色を見て『おいしそう』というひともいれば〝半熟はちょっと…〟と食べないひともいる。

答えをひとつに絞らずに『シンプル』に軽やかに肩の力を抜いて〝生きたい(働きたい)〟ものだぜっ!(突然の『ぜっ!』)

LET US EAT(さあ食べよう!)

例えば紙の本でもKindleの電子書籍でも、

ただ『文字』の羅列を目で追って読了すれば、自分が賢くなったと勘違いしてる時点でちょっと〝アレ〟かと思います。あくまでも『行動』こそがいま自分の目にする世界を書き換える。読み終わった本を本棚に並べて悦に浸ってるヒマはない。

この世界には一生かけても食べ切れないほどの価値観や経験が溢れている。その中でなにを『取捨選択』し、どんな〝じぶん〟になりたいをその場面ごとにイメージするんだ。〝イメージ〟はやがて『想い』へと化学変化を起こしながら自らを突き動かす〝推進力〟になる。

たぶん一日に置ける『体感時間』とは伸び縮みする性質を持つ気がします。だから、なにかに夢中になっているひとは常に〝時間〟との駆け引きをしながらその日を走り抜けているし、例え足を止めて本を読んでいたとしても

〝どん欲に〟に著者が必死になって紡いだ文章の匂いを嗅いで、その努力の汗までも〝舐め回すように〟味わい尽くすのが『読書』かもしれません。

現代のインターネット時代を『牽引』するようなひと達の書いた著書を読んでいるとある1つの共通点があることに気付く。それは自身の仕事に〝熱狂〟しているというコトだ。

一日8時間労働、週休二日制、働き方改革が叫ばれて久しい昨今ですが〝熱狂〟してる人間にはどこ吹く風でやりたいコト(仕事)を寝るのも惜しんで好きなだけしている。たぶん周りの『ひとの目』なんて全く気にならないのでしょうね。

しかしほとんどのひとは、仕事に限らず寝ても覚めても夢中になれるコトに『没頭』できるのは才能と呼ばれるでもなく往々にして〝変人〟扱いされる。

要は『オタク』という部類の人間に分類されるからだ。ぼくが今しているこのブログを書く行為ひとつ取ってみても〝意識高い系?〟をこじらせてるから書いてると思われる知人も中にはいるかもしれない。知らんけどね。

でも実際のぼくは、小浜にある中川海苔店で買った『のり屋の佃煮』をまかないのご飯にのせ、ひとり喜んでご飯がすすむ君をしているただの一般ピープルである(笑)

お笑いの分野では、有吉弘行さんのバンクシーネタのツイートが〝秀逸〟過ぎて流石だな!と思わず肘を叩きそうになりました。

因みに『バンクシー』とは、

イギリス・ロンドンを中心に活動する覆面芸術家。社会風刺的グラフティアート、ストリートアートを世界各地にゲリラ的に描くという手法を取る。バンクシー本人は自分のプロフィールを隠そうとしており、本名をはじめてとして不明な点が多い。大作を短時間で描くことから、複数人によるグループ説もある。

※ウィキペディアより抜粋

もちろんこちらを刺してますね。

世の中の大半は『都知事ともあろう者が一体なにやってるの?』という〝感想〟を持ったに違いない。そして『論理観』というカタチで裏アカ(裏アカウント)を持った一部のネット民が攻撃的な口調のリプを本人に振りかざす。

そんな〝ビミョーな空気〟をちょっと皮肉り、みんながクスっとできるお笑いに〝昇華〟させるのは『才能』でしかないよね?

そして、どんな分野でもそんな『才能』がある一部の選ばれた人間だけが〝活躍〟してるのかと言えば、ぼくはそうは思わない。

人間の『能力(スキル)』なんて持って生まれた体格や運動神経を除けば〝大差〟なんてない。つまり後天的にどんな本を手に取り、どんなひとに出会って、多種多様な価値観に触れて一体なにを『吸収できるか?』で、

〝じぶん〟という存在は形成されていく。

そんな〝じぶん〟の視野を広げようと講演会やセミナーに足を運んで、ただ座っておとなしく講師の話を聞いている。でもそれだけじゃまるで目の前のテーブルにあるお箸ひとつ動かせない。

〝ガツガツ〟とひとりでも手と頭を休めずに動かすんだ。今日は『勉強になった〜』と言い合いながら、家に帰ってお酒を飲んだら『ぜんぶ忘れてる』なんてね…。『共感』を覚えること自体は良いコトだが、自分のお店に持って帰りどうすれば〝転用〟できるかを考える必要性が当然ある。

お富さんだったら板前が作った本格的な味の『モツ煮』を真空パックか冷凍食品にして、外食と内食(お家で食べること)の間にある『中食』の売上強化に繋がるかもしれないといった感じだ。

ひとは自分の意思を相手に伝えるには『言葉』を用いるが、〝刺さる言葉〟なんてごく一部でしかない。『理屈』ではなく足を使いひたすら動いてると自分の中にある熱量をこれでもかと帯びた〝熱狂〟に出会えることが稀にある。

そんな〝ハイカロリー(熱量)〟を持ったひとが作る『ラーメン』はやっぱ本当においしいよね。だからぼくは、

“九州ラーメン 友理”

よく家族を連れても、ひとりの時でも足繁く通っている。スープは豚骨ラーメン特有のクドさや臭みもなく、うちの子供だって喜んで食べてくれる。このチャーシューだって惜しげも無くこんなに大きいのが使われてるですよ。

『木更津』にお立ち寄りの際には是非ともオススメしたいお店です!

応援される体質になろう

現代人は四六時中なにかと忙しい。ひと昔前まではバスの待ち時間などで10分程度なら何もせずとも良かったが、今は片手に収まるスマホひとつで〝スキマ時間〟でも気になるコンテンツを眺めたり、Google検索で調べものをしたりしてる。昔から『貧乏暇なし』と忙しいひとを揶揄していたが、もはや暇があれば誰しもがスマホで何かをしている時代だ。

ぼくはといえば、ランチ営業の忙しさのピークを過ぎた〝スキマ時間〟にはなるべくお店の外に出て『ひとに会う』ようにしてます。仮にも店長が仕事中にお店を空けるとは不真面目だと言われてしまいそうですが、スタッフにお店を任せられない〝仕組み〟の方が実際問題マズイよね。

『他者目線』で考えた時に、

例えばランチタイムに『あのひとのいる』お店に行こうかな?と相手に思い出してもらうのに必要な〝キッカケ〟とは一体なんでしょう??

お店を切り盛りしている人間なら、会いに来てくれることがイコールお店の『売上』に直結するのでとても気になるかと思いますが、〝お金の話し〟は一旦頭から切り離して下さい。なぜなら、ひとは『損得勘定』だけではなくその時の〝感情〟で行動する生き物だからです。

どっちが『儲かる』かではなく、

どっちが〝楽しそう〟かで選ぶこと。

いつだって【本質】とはシンプルだ。

ちょっとだけ考えてもみてください。誰かとこれから『信頼関係』を築こうとしてるのにまず〝お金〟が頭にチラついてるひとと仲良くなりたいと思えますか??

誰かに『応援されたい』のなら、先ずは自分から誰かを応援できる〝体質〟に是非なりたいものですよね。そして想いは『行動』で示さなければ相手には1ミリも伝わりません。

世の中の大体の事柄は〝等価交換〟で成り立っているが、こっちから何も差し出さないのに自分〝だけ〟は与えられたいなんて、ちょっと虫がいい考え方かとぼくは思う。

それでも『ぼくは(私は)◯◯さんに〜〜してあげたのに、◯◯さんは何もしてくれない』とか考えるのは一番やってはダメなパターンですけど(笑)

ただその時の状況をシンプルに〝楽しむ〟ことが重要であり忙しい合間に時間を作ってお店を抜け出してきて良かったと思える『瞬間』でもある。

これからはAI(人口知能)や作業ロボットが普及して、いま人間がしている仕事を『代替え』すると予測されていますが、まあ当然の流れかと思います。だって〝効率化〟だけを目指すなら人間より機械の方が向いてるに決まっているから。

先日は〝発注ミス〟からお刺身を盛り付ける際に使う『大根ツマ』を切らしてしまい手作業で作ったのですが、これだって普段は袋詰めされた既製品を使っている。

なぜなら柳刃包丁一本で大根をまるで紙みたいに薄くむく桂剥き(かつらむき)や均等に打っていく作業には一朝一夕では決して身に付かない『技術』が必要であり、つまりは〝効率的〟ではないからだ。

そんな『技術』がお金と等価交換される時代はとっくに終わってるけど、逆に〝非効率〟なのが時にひとの興味や関心を集めたりするのもまた事実ですね。

ぼくみたいに〝The板前さん〟とはかけ離れたイメージや見た目の人間が器用に包丁だけで『大根ツマ』を作れば、その〝ギャップ〟からひとに褒められたり驚かれたりします(笑)

繰り返しになりますが、ひとは『損得勘定』だけでなく〝感情〟で意思決定をする性質があると仮定するのなら、

自分の中に敢えて〝ギャップ〟を作り、ひとに『ツッコミ』を入れてもらえる〝余白〟を残すのも応援される〝体質〟になる為には有効な手段かもしれません。(←すべて計算づくなのが腹黒い)

似たような商品・サービスが世の中に溢れているのなら、どこで『差別化』を計ればいいのか誰だって考えると思いますけど、そもそも〝あなた自身〟がこの世界にたったひとりしかいないという『代替え不可な価値』を持っているのだから〝そこ〟で推していけばいい。

〝モノ消費〟はストーリー性がなければ、

『売れない時代』

に突入したのを逆手に取ればいい。これまでの大量生産・大量消費から成る『マス』の規模から〝ニッチなファン〟を持つプレイヤーが正当な評価をされるのは喜ばしいことだ。

そんな自分のファンになって頂くためには、やっぱ相手の立場に立って考えられる〝想像力〟が必須ですよね。

子供の頃に誰もが『道徳の授業』で教わった

〝自分がされて嫌なことはひとにしない〟

そんな当たり前の価値観を根幹に

『自分がひとにして貰ったら嬉しいことをひとにもする』

〝だけ〟かと思います。営利目的でお客さまに急接近するのでなく、SNSを通してお互いを知り緩やかに『関係性』を構築する。ハッキリ言って職場のタイムカードを押したら今日はおしまいって単純な業務以外で〝動けるのか?〟で明暗がくっきりと別れます。

ぼくの好きなボクシング青春マンガ『はじめの一歩』に登場する鴨川ジムの会長もこう言っとりますね。もうね、〝応援(成功)〟されたければやっぱり地道にひとより『努力』するしかないワケなんですよ。

そして、人気マンガの一コマをブログに許可なく勝手に載せて〝著作権〟で引っかからないか??いまちょっとだけドキドキしてるぜっ!(突然の『ぜっ』)

人生はチョコレートの箱のようなもの

ひとは誰しも自分の中でとても大切にしている〝価値観〟があると思いますが、それが一体何なのかはそれそこ十人十色である。また相手の思考を注意深く観察せずともシンプルに〝肌感覚〟で『あ、この人とは気が合いそうだ』と感じる時もありますよね??またその逆もあるけど。

ネットとリアルの境界線はどんどん曖昧になり『コミュニティ』の形成がこれからの時代を歩いていく上で重要になるとは〝実感〟はしてますが、なにぶん気分屋なのでひとつのコミュニティに帰属するのは嫌なんです(笑)

それでも、先日は週に一回のオフ日に家族で食事に出掛けるまでの時間がポッカリと空いたので年始のご挨拶も兼ねて富津市新舞子の海岸近くの森の中にある素敵なカフェ

“Cafe GROVE”

まで行ってきました。まるで『ジブリ映画』にでも登場しそうな雰囲気のあるお店なので、是非ともおすすめしたい場所のひとつですね!

ただコーヒーを飲みたい〝だけ〟なら、カフェに限らずファミレスでも最近のコンビニのコーヒーだって安価なのにそれなりに美味しいコーヒーが飲めます。

ましてこちらのカフェに一度でも行ったことのある人なら説明せずともわかるのですが、決して〝立地条件〟も良くはない。

車が2台とてもすれ違えないくらい細い道を数カ所も『頼むから対向車こないでくれよ』とある意味で念じながら、やっとさたどり着く場所にある。でも、慣れてしまえばそんなちょっとした〝プチ冒険感覚〟が楽しくもあり、森の中にあるテラスで飲むコーヒーは寒空の下でも格別に感じる。(もちろん店内はあったかいよ)

スマホのGoogleマップ上で衛星から見る実際の〝距離計算式〟には当たり前だが、そのデバイスを手に持つひとの『感情』までは表示されませんよね。だから実際は遠いのに『感覚的』には近く感じるという実に人間らしい〝バグ〟が生じるのです。

おいしいコーヒーとチーズカレーうどんを食べて体をあたためた後にこの時期しか買えない〝紅ほっぺのいちごマフィン〟を手土産に向かった袖ケ浦市にある老舗和菓子店

“奈良輪 豊月堂”

カフェから車で50分くらい離れた距離にありましたが、運転していて別に遠いとは体感として少しも感じないのが上記の〝バグ〟の好例かと思います(笑)

まあ、せっかく来たんだし『いちご大福』はちゃっかり家へのお土産に買いましたけどね。

『SNS消費』とは、

そんな面白おかしい〝矛盾〟を日常的によく起こしたりする。ぼくはと言えば、約2年前にフェイスブックを始めたのですがそれまで『近いから』という理由だけで通っていた美容室がありました。それが今では車で20分以上はかかる富津市にある床屋さんにもう1年以上は通っています。

〝決して効率的ではない〟

スマホの登場とインターネット環境の急速な発達で〝生活スタイル〟すら変わりつつある現代において、そのひとの持つ『持ち時間』はある意味〝お金〟よりも価値があるとされている。

稼ぐことつまり〝マネタイズポイント〟は後にズラして回収することも可能だが、一度消費してしまった『時間』はもう二度と払戻せないからだ。

それでもぼくは自分の時間と足を使い、

『会いたいひとには、自分から会いに行く』

好きな食べ物に置き換えば、どんなにおいしい〝ラーメン〟を出すお店があると見聞きしていても実際に食べてみなくては、どんな味かはわかりませんよね??

いくらネットが発達しても〝行動〟をしてる人間の〝情報〟の方が信頼度が高いのは、その精度において『実体験』に勝るものがまだ存在しないのも事実です。

その『場所(お店)』まで出掛けてみて、お店のひとと話してみたり、料理の写真を撮ったりすると〝体感〟として強く印象に残る。

ましてその時にした会話なんて〝再現性〟がないもので、そんな小さな積み重ねが人間関係において『信用』としてカウントされるのは昔も現代もそうは変わりません。

“愛彩畑” × “アトリエ ラルブル”

採れたばかりの新鮮ないちごをたくさん使った〝いちごミルクプリン〟があるよって教えてもらったら実際に食べに行けばいい。

やっぱり『信用』しているひとの〝口コミ情報〟はどんなグルメサイトより説得力があるので、どうしても気になってしまう(笑)

いくら付き合いやその他の事情で軽い気持ちでついた〝嘘でも〟それが『可視化』してしまうネット社会では、それがそのままその人の持つ『信用度』を下げるので、嘘をつく行為は〝デメリット〟でしかない。

お世辞とか抜きに『おいしかったな』と思えば、シンプルに繋がりのある友達に教えたらいい。

普段は飲んだこともないアップルティーの香りやその場にいる人たちが作り出す〝空気感〟みたいなものは、やっぱりお店に行ってみない事にはわからない。あとは〝人柄〟が良いひと(オーナー)だから頼まれなくとも誰かに紹介したいと思う。

あ、ちなみにぼく自身はすっごい性格歪んでますね。(内緒やでっ)

なるべくなら気の合う友達のような〝関係性〟のひと達と一緒に過ごすなら『楽しげな場所』にしたいと思う。〝同調圧力〟なんて存在しない、自分がフラットな精神状態でいられるように。

たぶん気の合うひと達との間には、言葉にせずともある種の『共通言語』が存在するのだと思います。それが〝いじめ〟に対してNoと感じることだったり、ガヤガヤとお茶をしてるだけなのに〝楽しい〟と感じる感性だったりする。

時には『対人関係』のちょっとした考え方のすれ違いからたとえ疎遠になったとしても、常に〝行動〟できる人間にぼくは『共感』を覚えます。

こっちから勝手に期待して、自分が思い描く相手の〝イメージ〟と現実に『隔たり』があると勝手に裏切られた気分になるとかよくあるパターンですよね(笑)

タイトルの言葉は、大好きな映画『フォレスト・ガンプ(一期一会)』(1994)冒頭シーンの台詞から取りました。

ぼくのママはいつも言ってたんだ。“人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみなければわからないのよ”って。

予定調和なんてないけど人間とは未来を想像する生き物だ

システム手帳を開きその月の予定をマイペースに埋めていく。そんなありきたりな作業をする時間がぼくはとても好きです。

顔に似合わずシールが多めの見開きになっております。この小さいマスの中にごちゃごちゃと書くのが嫌で予定がある日にはシールを貼り細かい内容は、後のページにある各日付の上から続く時間軸の欄に書き込むようにしてますね。

ちなみに1/10(木)はお休みなので、その日のマスに貼ってある『肉のシール』は晩ご飯に〝焼肉〟を食べたいというただの願望です(笑)

通常のシステム手帳の使い方としては〝予定〟を忘れないために書き込むことが多いのですが、『こうあって欲しいな!』というのも記すことによって案外すんなりといくのが多いから不思議なものです。

自分の中で『有言実行』とまではいかなくても、普段から何気に手にとってよく見る手帳に書き込むことによって〝小さな願望〟なら叶えられそうな気分に自分を仕向けているとも言えるかもしれません。

それとは裏腹に飲食という商売って基本的には〝待ちの商売〟ですよね。

その日に使う材料を仕入れて、開店する時間まで店内の掃除や食材の仕込みをしてオープンに備える。時間になったら店舗の出入り口に暖簾をかけてお客さまをお出迎えするのですが〝どんなお客さま〟がその日に来てくれるかなんて誰にもわからないし、もしかしたら誰も来てくれないかもしれません。

それでも年明けから、

SNSで繋がりのある〝友達のような関係性〟『大切なお客さま』にご来店してもらえるのは感謝しかありません。

それこそぼくの働いているお富さん太田店がある大通り沿いには〝お世辞抜き〟においしいお店がたくさんあるのですから。

またそれを〝ピンチ〟と取るか『チャンス』かと問われれば、ぼくの考えではお客さまはどこのお店で外食をしようか〝選択肢〟があるから『楽しみ』なのだと予測している。結論から言うと、

『ひとり勝ちなんて現実的ではない』

ですから、自分のお店がある大通りの飲食店の盛り上がりが底上げされることによって〝ひとの流れ〟ができ、結果として『企業努力』をしているお店にお客さまが来てくれればいいかなと思っている。

だからお富さんから半径1キロ圏内の〝おいしいお店〟を紹介してもデメリットなんて実はひとつもないという、ちゃんと足りない頭でひねり出した『ロジック』があるから無駄な心配もしていない。

よく自分のお店に来てくれるお客さまを取られたらどうしよう??なんて悩むのは本末転倒で、そもそもお客さまは自分の行きたいお店は〝自分で調べて決めてる〟のでこっちが考えたってしょうがない。

だったら、来てくれたお客さまに〝満足してもらえる〟おいしいメニューなり何なりを考えた方がよっぽど建設的ですよね?不意打ちで急に撮ったからウッチーさんはふつーに真顔デスガ、、(笑)

そんな中でも繋がりのあるお客さまが来てくれるのを〝当たり前なんて〟絶対に勘違いしてはいけない。またSNSで関係性があろうが、なかろうが〝食いもの商売〟をしているのなら『商品』〝勝負〟できなければ意味がないのである。

ぼくたち店舗で日々働く主要な人間は取り扱う商品の〝価値〟を伝えるためにいるのです。違いますかね??

この冬の時期でも氷が詰まった発泡スチロールの箱に手を突っ込んで丸魚を取り出し、それを丁寧にさばいて刺身や寿司に使う柵(さく)にする。

その柵を入荷した魚の鮮度や状態を考慮して、最適な大きさや厚みでカットして盛り付けるのです。お客さまに〝おいしかった〟と言ってもらえる『未来』〝想像〟したいから。※マグロは最初から冷凍の柵で入荷するよ

だからSNSの投稿で〝あげてもらう〟のを『宣伝目的』でなく、自分たちが日々している仕事に〝共感〟してもらえた『結果』だと捉えればいい。

ぼくは脳についての科学とか詳しくはないけど、『やる気スイッチ』なんてほんとは頭のどこにも存在してなくて〝行動〟してる内に体が自然と〝やろう!〟ってなるだけみたいですね。それでも、仕事をする『モチベーション』とはお客さまに認められたと〝実感〟できた時にこそ昂まるものです。

そんなお客さまから頂いてる

『モチベーション』

つまり〝働き甲斐〟をお店で働くスタッフにも、もっと味わって欲しいと考え時に〝ぼく〟という『存在』はむしろ控え目であっていいと思う。

プロスポーツで例えれば分かりやすいと思うんだけど、『監督』より色んな〝選手〟が活躍した方がチーム全体として〝人気〟が出ますよね。今年は〝そこ〟を目指したいというのがぼくの『構想』の中にある。いくら『個の時代』といっても逆にその個性を発揮してる〝プレイヤー〟が抜けて、その店が下火になってしまっては意味がない。

『チーム力』×〝商品力〟=【繁盛店】

の図式でこれからはお店をもっと強化したいので、いま自分がいる〝立ち位置〟を変えなければならない。やっぱり個人が行える『パフォーマンス』の成果には限界があるので。

世の中に数あるお店(会社)の中で〝生き残る〟ためにぼくは何だってやる。『食』を通して次世代にも残る〝価値観〟の創出をしたいから、それが『マグロ』をいつまでも食べられる文化だったりする。

ぼくは自分が見たい〝未来〟を迎えに行くためには同じ価値観を持った『仲間』が必要だと切実に思うから、まだ体力と気力がある今のうちに〝最高のチーム〟を創りたい。やるでっ!

じぶん元年を始めよう

年末年始の〝怒涛のような忙しさ〟も今年に入って最初の一週間が過ぎ、例年の売上データからすると普段の落ち着きをそろそろ取り戻す頃でしょうかね?

ぼくの仕事は飲食サービス業なのですが、ここ数年で『繁忙期』の在り方というか捉え方みたいなものが変わってきたような気がします。

そんな時期にはお客さまがたくさんご来店してくれているので、お店側からすれば何より売上が立つし忙しいのはとても有り難いことなのですが、受け入れる側つまり『受け皿(お店・施設)』のキャパシティを超えてるなと感じる日が残念ながら、毎年よく目に付くようになった。要は忙し過ぎて営業内容が〝パンク〟を起こすというやつだ。

そんな苦い経験から〝軽減税率法〟が2020年に施行される前のタイミングでお国から『補助金』を引っ張り、経費を組んで当店ではレジシステムを一新しました。そして同時にお客さまのテーブルに置く〝TOS(テーブル・オーダー・システム)〟を導入し、ホールスタッフのオペレーションを軽減を図り、何とかこの繁忙期を無事に乗り切ったという感じですね。

AI(人工知能)や自動化システムが何かとニュースやメディアを騒がす昨今ですが、ぼくが働くお店では相変わらず手作り商材が多いので、それこそ多くの〝ひとの手〟を介しています。

その料理を運ぶのもまたひとなのですが、その肝心の『人手』が集まらないという難題がここ五年くらい前から続いている。言い方はアレですけど、まるで底の見えない〝無間地獄〟に陥った気分が何年も続きました。

予算をかけて『求人広告』を打ったとしても会社を定年退職した元職人のおじいちゃんみたいな高齢のリタイヤ組からしか募集がこないなんてザラなので、今では在籍しているパートさんやアルバイトから直接の紹介で人材を集め、シフト(人員の予定表)を組んでいます。

それでも〝休みたい日はみんな一緒〟なんです。

ぼくがまだ子供の頃は正月の『さんがにち』は開いているお店の方が少なかったように記憶しています。それが時代の流れと共にサービス業は特に〝やってて当たり前みたいな風潮〟になってしまいましたが、昔の今もそれぞれに守るべき家族がいて、それぞれに自分にとっての大切な時間がある。

そういった理由からぼくが約8年前にお富さん太田店に赴任したタイミングで12/31の〝大晦日〟と、お盆時期で忙しい8/15の夜の営業は地元〝木更津花火大会〟のために自分の独断でお店をお休みにしました。

休んだからといって特別なことは何ひとつしてませんが、大晦日の夜に家族でテーブルを囲み一緒に食べた『年越し蕎麦』が旨かったのは言うまでもありませんよね。

数字を出せなければお店(会社)は死にます。それでも中で働く人間との都合をうまく擦り合わせる作業を『責任者』はしなければならない。お店のシフトも含め働きやすい〝環境〟を整えられるかが、そのひとの器量として試されるのです。

そんな時に求められる〝能力〟とはなんでしょう?ぼくは相手の立場を考えられる『想像力』だと〝経験則〟から学びました。

“愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ”

という有名なことわざがありますが、ぼくは上っ面だけをウィキペディアで調べて学ぶより自分の足で得た〝生きてる情報〟の方を信じる。

あと、逆説的かもしれませんが意外とぼくは読書家なので(笑)

時代の最先端をひた走るキングコング西野亮廣さんやホリエモンさん、OWMDAYSの田中修治さんなど〝若き起業家〟が現代をどう捉え、どのように生き抜いているのかを知りたくてその著書をよく読んでいます。

昨年のクリスマスイブ(石原さとみさんの誕生日)に発売された『前田裕二』さんの著書『メモの魔力』を読了したが、メモ帳というどこにでもあるアイテムがこんなにも自分の〝思考の深掘り〟に役に立つとは驚きでしたね!とても良書なのでオススメしたいです。

この著書の巻末に〝自分を知るための〟自己分析1000問ノックがあるのですが、簡単にご説明するとこんな感じになるかなと気軽にツイートしたら著者ご本人からいいねを頂きとても恐縮な気分になりました(笑)

ある人からSNSの〝本質〟とは物理的な距離や時間の制約を超えてコミュニケーションをとるツールだと教わりましたが、いまぼくの頭の中でSNSとは

『ひとの頭の中より、ほんとに覗きたいのは自分の心の中だろ?』

という言葉が琴線に触れました。物理的にはスマホの画面越しに情報を見ているのだが、結局は受け取る側つまり〝自分がどう捉えるかで〟その受信の仕方が変わってきますよね。

それを前田式メモ術で書いてみると、

①ファクト(思ったことを書く)

SNSでひとの投稿を見て何かを感じる

②抽象化(ということは?)

一度も会ったこともない知らない誰かの言葉よりも、より関係性の深いひとの言葉の方が気になるという価値観をひとは持っている

③転用(だったら〜)

〝なに〟を言ってるかでなく〝誰が〟その言葉を発しているかで受け取り方に差が出る。つまり自分を軸にした関係性で『言葉』の浸透度が変わってくるので、ブレないためにはまず自分の内側を見つめる

④標語(単語でまとめる)

〝可処分精神〟の行き先を決めておく

ITが爆発的に普及して時代の流れが早いと言われてる現代ですが、普遍的な存在とは『じぶん』以外にいないのだと思います。人間は生きてるだけで大なり小なり日々なにをどうするのか〝自ら常に決断〟をしなければならない。

これまでの企業は〝可処分所得〟の奪い合いを競合他社としてきました。どこの会社がどのくらいお客さまから『お金』を集められるかというレースみたいなものです。

その次に無料アプリなどのコンテンツが登場し、便利だし無料だからと誰もがそれに飛びついた。そうすると今度は〝可処分時間〟を取り合った。つまり、これまで明確な価値を付けられなかった『そのひとの持つ時間』にお金と同等かそれ以上の価値があると気付いたからだ。

そして、これからは〝可処分精神〟の時代になるだろうというのが大きな流れとしてある。ふとした時に思い出してもらったり、時には何をしててもそのコンテンツのことを考えてしまう〝ひとの思考〟の奪い合いだ。

それがオリンピックイヤーの2020年に世界に先駆け『5G』時代に突入する日本でどんな〝インパクト〟をもたらすかなんてぼくにはわかりませんが、その時代に乗っかって伸びるコンテンツが出てくるのくらいは簡単に予想できます。

そのひとつがVR(仮想現実)と言われてて〝動画によるコミュニケーション〟が注目されていますが、ぼくはその分野のことをよくわかんないけどね(笑)

今年も元旦には地元の氏神さま『八剣八幡神社』まで初詣に行き、おみくじは〝大吉〟を見事に引きました。でも良い運勢のクジを引くのは嬉しいけど、それだけで今年が何事もうまくいくなんて誰も心から信じていないよね??

〝可処分精神〟をいつも自分の傍に置くためには『じぶん』〝知る〟しかない。自分が何に対して〝熱意〟を持って取り組めて、〝人生の喜び〟をどんな時に感じるかなんて自分にしかわからない価値観なのだから。

〝徹底的な自己分析から導くロジック〟

により世界は開けるのだとぼくは信じます。