ジミーのベトナム滞在記パート②

ぼくも含めてと前置きしときますけど、ほとんどのひとにとって『日常』とはルーティンの繰り返しのように感じます。いつもと大体同じ時間にスマホのアラームで目が覚めて、いつも同じ道を車で職場へと向かう。帰りも大体いつも寄るコンビニでなんか買って、家でうだうだしてたらいつのまにか寝ている。そんな普通の日常が良いとか、悪いとかの話しではなく自分の身近な『環境』を含めたこの世界はふと気付かないだけで体の中の細胞が1秒も休むことなく〝新陳代謝〟をするように常に〝変化〟をし続けている。

皮肉なもので日本にいると自分の住んでいる国について深くは考えることをしないのだが、海外で少しでも生活すると

〝自分が日本人である〟と深く『自覚』する。

長くてきつい1日の仕事が終わりようやく安っぽいホテルに戻ると勢いのないぬるいシャワーを浴びるのだが、日本なら当たり前にあるはずのバスタブがないから〝湯船に浸かれない〟のはかなり凹みますね。ほんとに疲れが全然取れない。だから翌日も足の裏と背中の筋肉が張りっぱなしで…

娯楽の少ないベトナムでも部屋のテレビを付ける気力もなく所々シーツに沁みが残っているクッション性のないただ硬いだけの無機質なベッドの上で目を閉じていると、否応なしに家族のことを思い出し〝早く帰りたい〟と思ってしまうものです。

そんな状況下で必死に働いていても、海外でスーパーマーケットを新規オープンするのは簡単に進むべくもなく、予期せぬトラブルは当たり前の顔をしてぼく達のすぐ側へとすり寄ってくる。

〝朝9時オープン〟の予定だったのだが、レジシステムと量り売りをする機器の連携トラブルが前日の夜に発覚した。それはお客さまが買い物にきてくれたとしても〝お店に入れられない〟ことを意味していた。

日本から駆けつけてくれたスーパーからの応援部隊のひと達は前日は深夜まで『売り場作り』をしていたのだか、時計の針が朝の9時を刺しても店舗出入り口前に対応スタッフを置き、せっかく来てくれたお客さまを帰す光景を見ているもどかしさはほんとに〝歯痒かった〟としか表現できない。

ちなみにレジシステムの復旧に真剣な表情で取り組むこちらの業者さんは、オープン当日の朝7時に現場に入る予定が実際に来たのは8時過ぎだったのは『海外出店』の難しさをある意味で物語っている(笑)日本で同じことをしたのなら、たぶんブチ◯すとこです。

海外出店という一見華やかなその舞台裏では、山のように積み上がる諸問題に対して『適応』するために様々な〝人間模様〟があるのです。そこで働くひと達の苦労なんて、こうやって発信しなければ誰も知る由もありません。

あと、これはぼく個人の考えなのですが

自分の仕事量が多くストレスフルになった時に〝こんなに大変なのだから、当然あなたも同じようにそれをしなさい〟という半強制的な意味のわからない考え方はとても嫌いですね。あくまでも人間は『睡眠と休憩』が足りなければ、普段なら決してしないイージーなミスを犯すのは目に見えている。なんの科学的な根拠もない〝根性論〟とかぼくは信じていない。

毎朝仕事に行くために乗るホテルの電光掲示板の少し欠けた古ぼけたエレベーターで1Fのボタンを押す時にふと頭をよぎる

『仕事に行きたくない…』

と海外進出組の企業に勤める自分はいいけど、〝現地のスタッフにはそんな思いをさせてはならない。〟

伝わっていますでしょうか??

仕事中はどちらかといえばベトナム語も話せないし無口なぼくですが、相手を思いやる『そんな気持ち』さえ伝われば〝受け入れてもらえる〟もので、よく弟と比較され『ジュンイチさんはおとなしい』と言われたものです。

あと、中国圏のひともそうなんですけど『面子(メンツ)』を非常に重んじる文化があるので、〝よそ者のぼく〟にはこういったプライベートでのお酒の席では絶対にお金を払わせたがらない。ここは自分たちのテリトリーなのだから『奢られなさい』という意味合いなんでしょうね。

なるべくですけど、せっかくよその国に行ったのなら『日本人とつるまない』のをおすすめします。お互いに日本語が話せるのならコミュケーションも容易に取れるのですが、うまく話せなくとも

【お互いを尊重する事により絆が構築される】

仕事帰りに仲が良いスタッフに連れていって貰ったこの酒席では、お店にいる日本人がぼくひとりで珍しかったのもあるかもしれませんけど

ぼくの座っているテーブルには代わる代わる『はじめまして』の乾杯を求められては、ショットグラスの琥珀色をした現地の強いお酒を空けました。その際に知ったのですが、ベトナムのひとは握手を相手に求める時には反対の手で自分の脇の下を隠す『作法』があるようです。

スタッフ達と行ったお店なので、悪い意味でなく現地の生活水準が垣間見れる数々の光景を目にして来ました。それはとても貴重な『体験』であり、その国の〝空気感を知る〟良い機会だったと思います。

仕事の合間に少しの時間でもお店を抜け出しひとりで辺りを歩いてみればその国の日常が〝実感〟として自分の目に映り込む。それを仕事をサボると呼ぶのは簡単ですけど、『仕事だけ』をするのもまた〝感性を養う〟のをサボってますよね??

ひとは得てして『自分』にとって都合の良い現実ばかりをその目に映そうとする〝傾向〟があるのですが、ひとが生きていく上で良いも悪いもないかとぼくは考える。『生きる為』に何かをして、何かをしないだけ。

自分が相手を目にしているのと同じように、相手もまたこちらを見ている。

『ひとに優しく』

『なるべくなら自分にも優しく』

異国で働こうとも〝仲間意識〟をどうやったら『構築』できるのかを決して賢くない足りない脳みそを振り絞って考える。

所詮は世の中というものは『結果バイアス(偏見)』〝評価〟される。

それは太古の昔からの『普遍の真理』みたいな〝生存本能〟で、地球の地質時代の1つで約1億4500万年前から6600万年前の『白亜紀』に地上にいた恐竜が滅びて今はいないのは、

生き残るのは

最も強い種ではなく、最も賢い種でもない

変化に適応できた種のみが生き延びた

だからぼくはベトナムの地に〝スーパーマーケットを出店する〟という誰にも否定できない『結果』を出してきた。〝素晴らしい仲間たち〟と共にそれを『共有』できたのはぼくの人生に置いて〝新しい価値感〟になったのは言うまでもない。

【いつだって変化を怖れるな!!】

ひとはどんなタイミングでもきっと良い方向に変われるのだから。

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