誰に向けての発信なのか

ブログやお店のページなどの閲覧数を上げたいのなら『お役立ち情報』などを載せると良いと聞いたことがありますが、日々そんなネタが都合よくその辺に転がっているわけもなく、当たり障りのないありきたりなお店情報となってしまいがちになる。

そんなありきたりな発信を〝変えたい〟とお考えなら、まずは当事者のアイコンを本人だと誰にでも認識できる画像に差し変えることをおすすめします。

なぜならお客さまが商品を選ぶ際の『基準』〝どこ〟で買うかよりも〝誰から〟買うかに移行してきているからです。顔もわからない〝へのへのもへじ〟からは誰も自分の大切なお金を出したいとは思ってはくれない。

とにかく似たようなものを買うのなら、ひとはまったく知らないお店で初めて会う店員さんからよりも『関係性』の深いひとから買おうとする。

だからこそ自分の〝思いや考え〟その商品に関連する〝ストーリー〟をきちんと伝え、ひとに『興味』を持ってもらう努力を続けることが言わば、大手ではまねのできない中小企業の『独自化』へと繋がる。

例えば、どんなに材料や作り方にこだわっていたとしても誰の目にも止まらなければ〝存在しない〟のと一緒なのだから。

その価値を伝えたいと思えるひと達に『気付いてもらう』ためにはどうすればいいのか?をご商売をされているのなら常に考え続けなければならない。

そして現代では、あなたという『個性』をSNSを通して〝表現〟できるのです。

もちろん初めは誰にも届かないような、か細い声かもしれませんが『個を出した発信』を続けていれば、必ずその向こうで誰かが見てくれているものなんです。

ぼくが教わったSNSの『本質』とは、

一方通行的な情報発信ではなく〝双方向性のあるコミュニケーション〟でなければその発信には『体温が宿らない』とされている。

もしお客さまとコミュニケーションを取りたいのであれば自分らしい言葉で『語る』ことを意識したいものですよね。

ぼくは実際にそうすることによりたくさんの素晴らしいお客さまと『繋がり』ができた。それはお金では決して買えない〝財産(きずな)〟だと認識しています。

お店までわざわざ自分の時間を使って〝会いに来てくれる〟のは、ほんとに感謝でしかない。

一体何のために?

誰のために発信を繰り返しているのか??

忙しくてもふと立ち止まって考えてみる

世のお父さんたちは仕事で疲れた顔をよくしていますよね?やっぱり働くって大変なんです。それでもそんな大変なはずの『労働』ですけど、ちょっとだけ〝遊び心〟をプラスしてやればその発信を見てくれたひとがクスッと笑ってくれる。

『つらい・疲れた・つまらない』

と仕事に対する愚痴をネットで垂れ流してみても〝何の生産性もない〟だけでなく、見てくれたひとまでも嫌な気持ちになってしまう。

それに1日の大半を費やす仕事にくたびれただけのお父さんを一番近くで見ている自分の子供は〝将来◯◯屋さんになって働きたい〟と思ってくれますでしょうか??

子供は親のことをこちらが思っている以上に見ているのものですから。

ぼくの周りには、良い意味で刺激を与えてくれる〝尖った個性〟を持つ〝ヘンタイ〟みたいなひと達がごく稀にいます(笑)たぶん他人から見れば、ぼくもその部類に残念ながら入っているのだと自覚してますが、

そんなひと達は、仕事とは楽しいものではなくて〝メシを食っていくために〟仕方なくするものであるという昔ながらの『固定観念』に縛られている人間はいないように感じます。

もちろん大切な家族を養っていくためにちゃんと『お金』を稼いでいなければお話しになりませんが、それと〝同時進行〟でこれからの自分に必要な知識を常にアンテナを立てて探し、そして行動(学び)を続けている。

たぶん、いまある自分の中のちっぽけな価値観をアップデート(更新)しなければ、これから先は生き残れないと〝肌感覚〟で察知しているのだと思います。

でもそんな先の見えない将来を悲観するより積極的に色んなひとに関わろうとする姿勢には〝年齢とか関係なく〟頭が下がりますね。

〝誰に向けての発信なのか〟

ぼくには気の利いた『答え』は分かりませんが、古き良き時代の昭和の親父は〝背中で語る〟という価値観がありました。

でも、それって典型的な口下手なお父さんの言い訳のような気がします。

ほんとに『伝えたい』と思うことがあるのなら、やっぱり〝言葉(カタチ)〟にしなければ相手には伝わらないよね。

だからと言って、

『誰にでもいい顔なんてする必要なんてない』

このひととは分かり合えないと感じたのなら、相手に余計な言葉を浴びせる前にフォローを外せばいい。〝ストレス〟を抱えて自分に無理をしてまでSNSなんてやるものじゃない。

もしかしたら、SNSを通して見ているのはひとの頭の中ではなくて〝自分の内面〟を見ているのかもしれません。

自分の持つそのひとに対する〝先入観〟という色メガネを外すのはなかなか容易ではない。勝手に期待して、勝手に裏切られたような気持ちになる時もあるかもしれませんが、

それでもぼくはなりたい〝自分〟をイメージしながら、これからも『断固たる決意』で発信を続けていきます。きっとその先には想像もしてない素晴らしい〝出会い〟が待っているから!

ちなみに茂原市で〝美容室モルフェ〟をやっている『タケツグ君』が食べてたお富さん太田店で大変ご好評をいただいてる

〝痺れる・麻婆坦々麺〟

はこちらです!というステマ記事でした(笑)

マグロがなくなったら寿司屋は何を売ればいいのか

なんか〝一休さん〟みたいな禅問答ですけど(今の若い子は知らないかな?)このような『問題提起』は飲食業や水産業だけに限らず、

ネット通販最大手のAmazonは『買い物』に変革をもたらし、Googleは『検索』のやり方を一新した。ぼく達のような一般消費者は、高いところから低いところに水が自然と流れるように『低価格・使いやすさ』に勝るモノはなくそれらの会社を使うようになる。

欲しい家電製品があったのならAmazonで価格帯を調べ、買う前に最寄りの大手量販店で実物を〝品定めだけして〟店舗ではなくネットでポチる。お店を探したり、選んだりする時も分厚いタウンページを持ち出して調べるひとはもう少数派で、Googleマップで検索すればすぐに解決する。

別に脅すつもりは全くないのだが、いまあなたが働く会社もいつ〝利便性の高いツール〟に淘汰されるか分からないご時世なのです。

話しを戻しまして、

ぼくがつい先日まで実際にベトナムの〝お富さんハノイ店〟で触っていた『マグロ』は、

キハダマグロの少し色がボケているようなモノしか入荷できなかった。

それでも仕入れられればまだいい方で、お店でマグロを使いたくとも〝入荷なし〟と取引先に言われたら『お手上げ状態』でしたね。

下の画像は、現在『お富さん太田店』で使っているバチマグロです。どちらも色を調整するようなカメラフィルターは使っていない。

もし自分が〝お客さまの立場〟であったのなら、どちらを注文したいかは言うまでもないがそんな『環境』でもお店のメニューに寿司が印字されているのであれば、

どうやって作るかを頭をひねって考えなければならない。。。

そんな状況下でも〝救いの救世主〟となったのが、日本でも大人気の『ノルウェーサーモン』だったのです。

その品質は日本で扱うものと遜色ないクオリティだったので、寿司でも刺身でもサーモンをメインに組み立てて考えることができたと言っても過言ではない。とても脂がのっており、現地ベトナムのひとの口にも合う食材だったのでまさに願ったり叶ったりというわけだ。

それでもやっぱり頭をよぎるのは、

色の良い脂がのった『バリバリのマグロ』をベトナムのお富さんでもお客さまに提供したいという、まわりの状況なんて知ったこっちゃないよ?と言わんばかりのかなり自己中心的な強い思いでした。

もちろん冷蔵庫を搭載してるベトナムではまだまだ高嶺の花みたいにべらぼうに高級な冷蔵庫などのハードの部分や、漁場から市場に出回るまでの交通網などのインフラの整備などぼく個人の力ではどうにもならないとは分かっているものの、

〝諦めたらそこで試合終了だよ〟

という懐かしの『slam dunk(スラムダンク)』に登場していた湘北高校のカーネルサンダースみたいな見た目の安西監督も仰ってましたよね??

なので次にベトナムに行く機会を設けたら、町市場や漁師町などを見て回りこの地で『新鮮な魚介類』を流通させるにはどうしたらいいかを〝机上の空論〟ではなく現場のひと達とリアルな意見を交換したいと考えています。

ぼくはベトナムのスーパーマーケットをみんなで立ち上げる際に日本の商品や野菜が並ぶ商品棚を見て『喜んでくれたお客さまの声や顔』を目の当たりにしている。

お店(会社)とは必要としてくれているひと(お客さま)がいて始めて存在意義を待つ

ものだとほんとの意味で教わりました。

それにぼくにはまだ小さい子供がいるのですが、いま現在取り扱っている『食材』がこの子が大きくなってからも〝食卓のテーブル〟に並んでいるのか?と大きな疑問符を持っているのです。

いまはもう無いのですが、

スーパー富分の本店は木更津市の桜井にありました。

そのシャッターに描かれていた〝太くて大きいシャコ〟や大切なお客さまを自宅に招く時に用意していた〝立派なワタリガニ〟という『食材』は、いまぼくが住むお家の食卓に並ぶのをずいぶんと見ていない。

そのワケは『もうあんまり獲れないから』という理由でしかない。ほんの20〜30年前まで普通に獲れてたんですよ?それでもたかが『ご飯の話し』では済まされないような気がします。

〝次世代に何かを残したい!!!〟

と考えるのは、ただの『驕り』でしょうか??

だからぼくは『行動』を起こしたいと考える。まずは、お富さん太田店の店長という立場を年内には一旦降りて、木更津駅西口と君津駅前にある2店舗を含めた3店舗を同時に統括する【マネージャー】という肩書きを作り国内のお富さんの〝磐石の体制作り〟に取り組みたい。

更に親会社のスーパー富分との〝連携〟を今よりもっと密にして、『コストパフォーマンス以上の付加価値』をお客さまにご提供するつもりです。

そして、その都度『ベトナム遠征』にはぼくだけでなく店長クラスの社員を派遣し、現地で働くひと達とのコミュニケーションを常に図りたいという妄想ではなく『構想』として、いまぼくの頭の中にある。

〝絶対に達成してやる!!〟

のでどうか温かい目で見てやって下さいね!

ジミーのベトナム滞在記パート②

ぼくも含めてと前置きしときますけど、ほとんどのひとにとって『日常』とはルーティンの繰り返しのように感じます。いつもと大体同じ時間にスマホのアラームで目が覚めて、いつも同じ道を車で職場へと向かう。帰りも大体いつも寄るコンビニでなんか買って、家でうだうだしてたらいつのまにか寝ている。そんな普通の日常が良いとか、悪いとかの話しではなく自分の身近な『環境』を含めたこの世界はふと気付かないだけで体の中の細胞が1秒も休むことなく〝新陳代謝〟をするように常に〝変化〟をし続けている。

皮肉なもので日本にいると自分の住んでいる国について深くは考えることをしないのだが、海外で少しでも生活すると

〝自分が日本人である〟と深く『自覚』する。

長くてきつい1日の仕事が終わりようやく安っぽいホテルに戻ると勢いのないぬるいシャワーを浴びるのだが、日本なら当たり前にあるはずのバスタブがないから〝湯船に浸かれない〟のはかなり凹みますね。ほんとに疲れが全然取れない。だから翌日も足の裏と背中の筋肉が張りっぱなしで…

娯楽の少ないベトナムでも部屋のテレビを付ける気力もなく所々シーツに沁みが残っているクッション性のないただ硬いだけの無機質なベッドの上で目を閉じていると、否応なしに家族のことを思い出し〝早く帰りたい〟と思ってしまうものです。

そんな状況下で必死に働いていても、海外でスーパーマーケットを新規オープンするのは簡単に進むべくもなく、予期せぬトラブルは当たり前の顔をしてぼく達のすぐ側へとすり寄ってくる。

〝朝9時オープン〟の予定だったのだが、レジシステムと量り売りをする機器の連携トラブルが前日の夜に発覚した。それはお客さまが買い物にきてくれたとしても〝お店に入れられない〟ことを意味していた。

日本から駆けつけてくれたスーパーからの応援部隊のひと達は前日は深夜まで『売り場作り』をしていたのだか、時計の針が朝の9時を刺しても店舗出入り口前に対応スタッフを置き、せっかく来てくれたお客さまを帰す光景を見ているもどかしさはほんとに〝歯痒かった〟としか表現できない。

ちなみにレジシステムの復旧に真剣な表情で取り組むこちらの業者さんは、オープン当日の朝7時に現場に入る予定が実際に来たのは8時過ぎだったのは『海外出店』の難しさをある意味で物語っている(笑)日本で同じことをしたのなら、たぶんブチ◯すとこです。

海外出店という一見華やかなその舞台裏では、山のように積み上がる諸問題に対して『適応』するために様々な〝人間模様〟があるのです。そこで働くひと達の苦労なんて、こうやって発信しなければ誰も知る由もありません。

あと、これはぼく個人の考えなのですが

自分の仕事量が多くストレスフルになった時に〝こんなに大変なのだから、当然あなたも同じようにそれをしなさい〟という半強制的な意味のわからない考え方はとても嫌いですね。あくまでも人間は『睡眠と休憩』が足りなければ、普段なら決してしないイージーなミスを犯すのは目に見えている。なんの科学的な根拠もない〝根性論〟とかぼくは信じていない。

毎朝仕事に行くために乗るホテルの電光掲示板の少し欠けた古ぼけたエレベーターで1Fのボタンを押す時にふと頭をよぎる

『仕事に行きたくない…』

と海外進出組の企業に勤める自分はいいけど、〝現地のスタッフにはそんな思いをさせてはならない。〟

伝わっていますでしょうか??

仕事中はどちらかといえばベトナム語も話せないし無口なぼくですが、相手を思いやる『そんな気持ち』さえ伝われば〝受け入れてもらえる〟もので、よく弟と比較され『ジュンイチさんはおとなしい』と言われたものです。

あと、中国圏のひともそうなんですけど『面子(メンツ)』を非常に重んじる文化があるので、〝よそ者のぼく〟にはこういったプライベートでのお酒の席では絶対にお金を払わせたがらない。ここは自分たちのテリトリーなのだから『奢られなさい』という意味合いなんでしょうね。

なるべくですけど、せっかくよその国に行ったのなら『日本人とつるまない』のをおすすめします。お互いに日本語が話せるのならコミュケーションも容易に取れるのですが、うまく話せなくとも

【お互いを尊重する事により絆が構築される】

仕事帰りに仲が良いスタッフに連れていって貰ったこの酒席では、お店にいる日本人がぼくひとりで珍しかったのもあるかもしれませんけど

ぼくの座っているテーブルには代わる代わる『はじめまして』の乾杯を求められては、ショットグラスの琥珀色をした現地の強いお酒を空けました。その際に知ったのですが、ベトナムのひとは握手を相手に求める時には反対の手で自分の脇の下を隠す『作法』があるようです。

スタッフ達と行ったお店なので、悪い意味でなく現地の生活水準が垣間見れる数々の光景を目にして来ました。それはとても貴重な『体験』であり、その国の〝空気感を知る〟良い機会だったと思います。

仕事の合間に少しの時間でもお店を抜け出しひとりで辺りを歩いてみればその国の日常が〝実感〟として自分の目に映り込む。それを仕事をサボると呼ぶのは簡単ですけど、『仕事だけ』をするのもまた〝感性を養う〟のをサボってますよね??

ひとは得てして『自分』にとって都合の良い現実ばかりをその目に映そうとする〝傾向〟があるのですが、ひとが生きていく上で良いも悪いもないかとぼくは考える。『生きる為』に何かをして、何かをしないだけ。

自分が相手を目にしているのと同じように、相手もまたこちらを見ている。

『ひとに優しく』

『なるべくなら自分にも優しく』

異国で働こうとも〝仲間意識〟をどうやったら『構築』できるのかを決して賢くない足りない脳みそを振り絞って考える。

所詮は世の中というものは『結果バイアス(偏見)』〝評価〟される。

それは太古の昔からの『普遍の真理』みたいな〝生存本能〟で、地球の地質時代の1つで約1億4500万年前から6600万年前の『白亜紀』に地上にいた恐竜が滅びて今はいないのは、

生き残るのは

最も強い種ではなく、最も賢い種でもない

変化に適応できた種のみが生き延びた

だからぼくはベトナムの地に〝スーパーマーケットを出店する〟という誰にも否定できない『結果』を出してきた。〝素晴らしい仲間たち〟と共にそれを『共有』できたのはぼくの人生に置いて〝新しい価値感〟になったのは言うまでもない。

【いつだって変化を怖れるな!!】

ひとはどんなタイミングでもきっと良い方向に変われるのだから。