『他喜力』という考え方

『他喜力(たきりょく)』とは、そのままの意味で自分ではなく、他人に喜んでもらう事を目的とした行動なり、相手に送る言葉なのだと自分の中では認識しております。

またそれとは別に行動として起こさなくても、それとなく相手を気にかけて『見守る』のもそれに当たります。

ぼく個人の考えなのですが、友達の投稿に対して必ずしも『いいね』を押す必要はないのです。

それよりもSNSでそのひとが発信する言葉の端々なら漏れ出る『本音の欠片みたいなもの』を感じ取れる方がよっぽど大切なのだと思います。

『最近あいつ無理してんなぁ』とか『ここのところ見かけないけどなんかあったのかな?』とか〝本人が伝えてないこと〟を気にかける事もできるのです。

まあ、ぼくは分かりやすい性格をしてるので、お店がヒマでちょっとでも手が空くと外に出たくてソワソワしてくる(笑)それならいっそのことスタッフにお店を任せて『会いたいひとには自分から会いに行く』ようにしてますけどね。

そんな『他喜力』とは結び付かないかもしれませんが、以前ツイッターであるひとがつぶやいていた言葉にこんなものがありました。

『自分のことを嫌うひとに好かれる努力』ほど、無駄なものはありません。

だったら、自分に関心や興味を持ってくれたひと達に『喜んでもらえる様なことに時間を使いたい』ですよね?

〝人生の時間は有限〟なのだから。

ぼくも全くその通りだと思うので依怙贔屓(えこひいき)になるかも知れませんが、なるべくなら自分の感性に素直に従うようにしてる。

『いいなぁ』って思えるひとのお店で出てくるものはやっぱりおいしく感じるし、『このひととは合わなそうだな』と思ったら、初めから近づかないようにしている(笑)

ぼくは実家でパピヨンを飼っているのですが(猫より犬派です)犬はとても飼い主には忠実です。そして頭を撫でたりすると、その手を舐めてきたりしてきます。

かわいいですよね。そんな犬はなぜ大昔から人間のパートナーとして傍らにいれるのかについて、ちょっとだけ考えてみました。

当たり前ですけど、犬は言葉をしゃべることはできませんが、飼い主のことをよく観察しています。それは相手がなにを考えているのか〝感じ取ろうとしている〟のだと思います。

そして、家で犬と戯れている時によくお腹を見せてくる行為をしてくるのですが、

例えば、野生の自然界で外敵に襲われた際に厚い筋肉に覆われた背中なら相手の攻撃に耐えられるけど、逆に腹部は内臓にショックを受けやすい急所である。

そんな急所を相手(飼い主)に晒すのは、『ぼくはあなたに危害は与えないし信用しています』というサインなんです。

自分が好きだと思える〝相手に寄り添い、無条件に信用してくれる〟という高度なコミュニケーションをモノもしゃべれぬ犬は人間に対して、本能的に与えてくれる。

こんな大口を開けてあくびをしてますが(笑)もしあなたが誰かに喜んでほしいと考えているのなら、こんなにも身近にいるペットから学ぶことが多いのかもしれません。

というステマでもなんでもないただの『ちょっとえぇ話し』になってしまいましたがなっ!

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